世界でただひとりの君の代わりはいないよ

よく「推しのことで病むならそれは趣味の範疇を超えているから辞めた方がいい」というツイートを見かけるけれど、私にとってのオタ活は痛みを伴うことも多く、コンサートのために発つ前日にも負の感情に苛まれる出来事が起こった。

激しく降る雨。
履きなれない靴。
靴擦れに滲みる痛み。

複雑な思いを抱えながら迎えた当日。

2年ぶりのコンサート。
コンサートに来るたびに思う。コンサート会場はアイドルとファンと愛と平和で成り立つ理想郷だ。

照明が変わり、一瞬の静寂の後の熱狂。
決してステージに近い席ではなかったけど、そんなこと瑣末でしかない。もしかしたらもう戻ってこれないかもしれないと毎回思うこの場所にどんなに恋い焦がれたことか。

ザ・アイドルの称号を欲しいままにステージで歌って踊る知念くんは私の希望そのもの。
エルビス・コステロのSHEの一節「キミは私の夢を映す鏡のよう」その言葉を体現してくれる。
「夢」や「希望」と言うと抽象的になってしまうけれど、「アイドル」という言葉も同じく抽象的だ。

そして何度聴いたかわからないあの曲のイントロが流れる。
薮くんのノスタルジックな歌声と共に現れた美しきアイドル。
会場の全ての光を反射する、こんなにも澄んだ白色見たことあっただろうか。

知念くんが空に浮かぶ何かを掴んだ振りをした瞬間、私の心も掴まれた。
そこからの記憶はあまり無い。
楽しんできてと励ましてくれた友達に「焼き付けてくる」って約束したのに、涙が止まらなくて霞んで見えなかった。落涙していることを周りに悟られないように、手で押さえていた唇が尋常ではないほど震えていたことだけは鮮明に覚えている。
負の感情ではなく正の感情で泣いたのは久しぶりだった。

ケンティーのバレエの先生がおっしゃった言葉
「客席にいるとその人の命が削れてキラキラしたものが見える。自分自身を全部かけて命の削れた破片がキラキラ飛んでいく」
知念くんは命を削っていた。言葉にはならないほど強く美しいのにすごく胸が痛んだのは、命を削る痛みを感じ取ったからだろうか。

一度見られただけで恵まれているのに、何回だって踊る姿を見たいし、何回だって心を揺さぶられたいと思ってしまう。でも一度きりだったからこそ、この初めての感情と感動は永遠に変わらない。

ある裕翔担さんがアイドルに対する感情は恋愛感情でも友情でも家族愛でもない特別な感情とおっしゃってていたけど、どのカテゴリーにも属さない特別な感情の宛先が知念侑李であることを誇りに思ったコンサートだった。

「世界でただひとりの 君の代わりはいないよ」
世界中探しても知念くん以上のアイドルはいないよ。